2009.07.16

参議院本会議 代表討論(2009年7月10日) 議事録

710日の朝940分からの議運にて、10時からの本会議でいわゆる臓器移植法改正案(「臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案」)について討論が行われることが決まりました。私は初めて本会議場の壇上に立ち、A案の賛成討論に臨みました。

その質疑内容をアップします。議事録をPDFとテキストで全文アップしますので、是非ご覧ください。下の「続きを読む」をクリックするとテキストでご覧いただけます。

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090710honkaigi.pdf


参議院 本会議

2009年 7月 10

自由民主党 石井みどり

 

 

○石井みどり 自由民主党の石井みどりでございます。

 本日は、党派を超えて、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案、いわゆるA案の賛成討論をさせていただきます。

 日本で初の脳死判定をされたのが10年前、1999年2月28日、そして3月1日朝までに心臓、肝臓、腎臓の移植手術がすべて終了しました。この10年間、臓器移植は81件が実施され、多くの命が救われるという実績を上げることができました。

 今回、本案においては、臓器移植法における本人の生前の意思を尊重する理念を生かしつつ、臓器の提供が認められる要件について、新たに、本人の意思が不明の場合にも、年齢を問わず家族が書面により臓器の提供を承諾した場合を加え、諸外国と同様に臓器移植が認められる要件をそろえようとするものであります。

 昨年5月に開かれた国際移植学会では、イスタンブール宣言として、臓器売買、渡航移植の原則禁止を決定しました。この宣言では、自国民の移植は自国内で行うべきとし、移植ツーリズムを防止すべく、自国内での臓器提供を推進するよう各国に要請しています。

 現行法では、本人の書面による意思表示が臓器移植に必要であるため、12年にわたり意思表示カードの普及に努めてきましたが、内閣府の世論調査で示されるとおり、提供意思を記入したカードを常時所持していると答えた人は数%にとどまっており、臓器提供をしたい意思が反映されていないのが現状であります。

 他方、一日千秋の思いで臓器の提供を待たれている多くの患者さんがおられます。これらの患者さんは、臓器を移植する機会があれば普通の生活が送れるほどの回復が可能となります。にもかかわらず、我が国の臓器移植に係る要件によって、諸外国のような臓器の提供を受ける機会が奪われ、命を失う患者さんが多く存在しているのは真に国会における不作為の結果と言わざるを得ません。

 脳死の議論の際、小児には長期脳死という問題が度々指摘をされています。脳死状態であっても、髪の毛が伸びる、つめが伸びる、歯が生え替わる、そして成長を続けていくと言われています。

 テレビ等で報道されている小児の長期脳死事例は、いわゆる臨床的脳死と診断されているにすぎず、臓器移植法において求められる厳格な法的脳死判定にかかわる検査、すなわち無呼吸テストや時間を置いての2回の検査が実施されているわけではありません。この意味においては、このような状態にあるものは法的に死とされているわけではありません。小児の脳死判定に慎重さが必要であるということは当然でありますが、単なる臨床的脳死と法的脳死判定により脳死とされていることは区別して議論する必要があるということをまず述べさせていただきます。

 本案ですが、脳死を人の死とするということが社会的におおむね受容されているということを6条2項の文言を削除する根拠としていますが、この説明だけでは納得されない方々がいらっしゃることは承知しております。しかし、大多数の方々が脳死とは何かを実際に理解しておられるか、いま一度確認をさせていただきたいと存じます。

 現在、人はどのようにして、どのような場面で脳死に直面し、認識し、理解するのかといえば、臓器移植という医療行為を通じてではないでしょうか。なぜならば、法律上、日本における脳死は臓器移植の場面でしか存在し得ないからです。

 一般的に、脳死判定には、頭部外傷などの重症脳障害の患者の予後不良を診断するための脳波計などを用いて行う臨床的脳死判定と臓器移植を行う際のみに行われる法的脳死判定がありますが、これらを明確に区別する必要があります。臓器提供に係る法的脳死判定では、脳幹反射の消失や無呼吸テストなどの法的脳死判定基準に従い、主治医とは異なる2名の専門医が一度判定を行い、6時間後に2度目の法的脳死判定を下した場合のみを脳死を人の死としています。すなわち、脳死が人の死であるのは、本案の場合も現行法と同じく、臓器移植に関する場合だけに適用されるものであり、一般の医療現場で一律に脳死を人の死にするものではありません。

 脳死臨調の最終答申において、脳死は人の死であるということについておおむね社会的に受容されていると報告されています。また、近年のアンケート調査においても、新聞社等によって多少数字は異なりますが、多くの方が脳死を人の死と認めてよいとする結果が出てきているのは、臓器移植そのものの認知度が高くなってきたことを表していると思われます。

 E案提出者の答弁でも明らかになりましたが、現行法下での臓器移植の必要性、妥当性については、ほぼ社会的に受け入れられているというのが現状です。

 12年前の議論では、その時点では、日本国内で脳死判定ゼロ件、臓器移植もゼロ件と、脳死も臓器移植も国民の間で話題とされる機会は少なく、国民に脳死を理解してもらうことは、臓器移植がなかった以上、事実上困難な状況でありました。

 そのために、12年前には、6条2項に「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう。」の文言を入れざるを得なかったわけです。念のための確認にすぎなかったのです。

 しかし、この法律はあくまでも臓器の移植に関する法律であり、臓器移植の場面に限定されているわけであり、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう。」の文言を入れることに本質的な理由はありません。

 そして、この10年間に81例の脳死下移植が行われ、おおむね臓器移植は社会的に受け入れられてきたことを考えると、本質的な理由のない6条2項の文言は削除されて何ら問題がないばかりか、むしろ、臓器移植について国民の認知度、理解度が上がってきた現状をかんがみると6条2項の該当箇所を含まないA案が良いと考えます。

 冒頭申し上げました高知日赤病院で日本で初の脳死判定が行われたとき、極めて個人的なことになりますが、私も同じくも膜下出血で広島市民病院で脳動脈瘤遮断手術をして死のふちから生還したばかりでありました。私がドナーになっていたかもしれません。

 死に対する考え方は、多くの方の御意見を聴いても、死生観、倫理観、人生観、価値観、宗教観もあるかも分かりません、様々あるところでありますが、私が望みますのは、やはりドナーとして、もし御自分の御家族あるいはお子さんであっても、命をつなごうという意思がある方に関しては、やはり救える命を救っていただきたい、そのことは社会がより成長していく、成熟をしていく社会であろうかと思っています。一日も早い命のリレーがつながれること、これは子供だけでなく大人の方々にもそのことができることを望みます。そのためには、やはりどうしても救急医療体制、特に小児救急医療体制の整備が前提になるだろうと思っています。

 そして同時に、やはり最後の医療、終末期医療、これは特に交通事故の事故死の御家族の方がおっしゃいました、死を受容する時間、みとりの医療の重要さを随分と語られました。これはやはり、医療現場の方々だけでなく、国を挙げてその体制をつくっていく必要があろうかと思っております。

 この参議院で賢明なる議員の皆様に、いち早く命のリレーがつながれることを希望し、本案に御理解賜り、何とぞ御賛同いただきますことを心より、心よりお願い申し上げ、私からの賛成討論とさせていただきます。

 ありがとうございました。